好きなことの究極
好きなことについて
あたしは好きなことがない。
ここ1年ほど、頭のどこかに必ずあって
考えても考えても応えが出ない。
あたしの好きなことはなんだろうかと。
今日は中学生の悩みのようなテーマでお送りします。
小さい好きはたくさんある。
けどそのたくさんの好きだって、
嫌い、めんどくさい、やりたくない
となってしまうときがしょっちゅうある。
ものごとに対する気持ちがコロコロ変わってしまう。
これは別に変わってる、特別なことではない。
好きなことがない人なんてたくさんいることはよく知ってる。
たとえば、こんな星空は綺麗で好きだけど
ぱっと見て、体感で綺麗だな、好きだなと感じたらあたしはそこでおしまいに。
星が好きな人は、その後に
正座は何があるんだろう?とか
なぜこんな色になるんだろう?というような、星や星空の深くまで知りたがり、研究を始めて、世紀の大発見につながるかもしれない。
もしくは、あそこから列車が…なんて空想が始まって、銀河鉄道の夜的な物語になり、
誰もが感動する大作ができたりする。
もうひとつ
たとえば、あたしはこの写真を見て、
色が綺麗な写真で好きだなと感じた。
それでおしまい。
ある人はここから、
女性が好み。名前はなんだろう?とさらに知りたくなって調べ、そのうち出演作品なんか見るようになってシェアや口コミをするようになって、他のファンとつながって彼女の人気アップに貢献するかもしれない。
ある人は、彼女のようになりたいと願い、
メイクや美容やファッションを学んで
最後は美の巨匠になるかもしれない。
またある人はこの写真自体の撮り方が気になって、自分の写真にその表現を取り入れようと研究し、素晴らしいカメラマンへと成長していくかもしれない。
誰かの好きは誰かの好きへとつながっていく。
共有し、拡がり、最後は、誰かのため人のためになっていく。
これは好きなことの究極だと思う。
元を辿れば、あたしが上の2枚の写真をシェアしたことが、誰かの好きとつながって、大きな歴史の1ページ目になるかもしれないけど
それよりも自分自信が、拡げることができるほど好きなことがほしいなと思うんだよ。
なにも、極めてたどり着いた先に第一人者となるほど好きなこと がほしいとは思ってない。
拡げたい!と
興味や探究心をどこまでも注げることができるものがほしい。
そうすることで、結果誰かのためになるものがいい。
だってさ、それほど好きなことがあるかないかで、毎日見る景色が違って見えるだろうから。
ちょっと早朝から濃いめの内容書いて頭痛くなってきた(´・ω・`)
濃い内容なのに、
ここまで書いてもあまりすっきりしない。
突き詰めていく作業がやっぱり苦手なんだろうな。
何に対しても、
さらっと表面をなでる程度が
あたしには合っているらしい。
そしてまた、好きなことはなんだろう?は
頭の中に残り続けるのでした。